「主に立ち帰った」  05.11.13
               使徒言行録9:32〜43

 生きるにも、死ぬにも、どんな時にも、主イエス・キリストが、
恵みの御手を持って、自分をしっかりと捕らえていてくださる。
 私たちは、このことを信じて疑いません。そして、このことに
よって慰めと励ましを受けて歩んでいます。「主に立ち帰った人」と
いうのは、このような幸いを知って生き始めた人です。

 8年間中風をわずらっていたアイネアという人がいました。
 病気と高齢の中にいた人です。ペトロが、主イエスが
いやしてくださると宣言をすると、その通りになりました。
 アイネアを捕らえていたのは、老いや病ではなく、主イエスで
あったからです。
 タビタという人が死に、多くの人が悲しみの中にいました。
 ペトロがそこで祈ると、タビタは生き返りました。タビタを包み
込んでいたのは死の闇と絶望ではなく、主イエスであったからです。
 病気が癒されたことも死人が生き返ったことも、大きなことです。
 しかし、アイネアもタビタもいずれまた病気になって死んで
しまうのです。
 この時に、二人が心にとめた最大のことは、主イエスの恵みの
御手が自分を捕らえて離さないということです。
 それゆえに、もう病の時も、死の時も、孤独ではないし、恐れに
押しつぶされてしまう必要はないと知りました。
 主イエスを信じた多くの人たちもそうです。それらの人たちは、
アイネアやタビタを捕らえて離さない主イエスを信じ、
その主イエスに身を委ねて生き始めたのです。

 主イエスによる癒しや奇跡は、病や死が人間を襲う最大の
ことではないことを知らせてくれます。
 主イエスの人を生かし救おうとされる働きかけのほうが、
ずっと大きくて強いのです。

 「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、
支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、
私たちを引き離すことはできないのです。」(ローマ8:38〜39)